ぐみち

気づきや考えを忘れないよう記録するためのブログです。

中性的やジェンダーレスって称される人って大体女性寄りな気がする

男性でも女性のような雰囲気や顔立ちをしている人を中性的と言ったり、女性でもショートカットが似合っていたりするような人(雑解釈)を中性的と称することがある。

この中性的とはその人の持つ男と女の要素の割合の内、女性的要素が多い人を指しているような気がする。

例えばおじさんなのかおばさんなのかわからないような人がたまにいるがそんな人を中性的ということはない。ここでのおじさん、おばさんとは加齢による身体の老化、特に顔の老化が顕著な中年を指す。

 

つまり中性的とはそもそも美貌を称賛する時に使う言葉であり、同系統の言葉のジェンダーレスもそうなのかなと思う。

ジェンダーについては全くの不勉強なので間違っていたらごめんなさい。

 

美貌を称賛することは本当にいいことなのか悩むことがある。美しい人がいれば必然的にそれと比較して美しくない人もいる。おおっぴらに人の顔についてかっこいい、可愛いと言うことはルッキズムの助長になるのではないか。そう思ってしまう。ジェンダーレスとは本来そういぅった縛りから抜け出したもののはずなのに、現在の使われ方では結局ルッキズムの蔓延の一助になってしまうのではないかと不安。

 

 

ネット独学の限界

最近はネットに色んな情報が転がっているから独学がしやすい環境だ。しかしネットの情報は玉石混交で断片的だ。

断片的な情報を取捨選択して自分なりに解釈する力がある人なら今の環境は快適なものだろうがそういう優秀な人は少ない。大勢の人間にとっては紙の書籍など有識者が情報を体系的にまとめたものの方が学習のためになる。

過去

人は成長する過程で様々なものを失う。

私にとって幸福で充実した日々とは小学生の頃のみである。中学生以降は何かを手にすることもあったが大事なものを失ってばかりだ。そしてその失ったものは取り戻すことができない。

友人に指摘され、自分でも自覚しているのだが私は過去に縛られて生きている。過去の幸せなことも辛いこともずっと、ずっと自分の中に渦巻いていていつまで経っても前を向くことができない。過去は増え続けるのでどんどん自分を縛るものが多くなる。

過去の幸せを思い出す映像や音楽を見聞きすると死にたくなる。死にたくなるというか、過去の幸せと現在の醜態を比べて絶望する。

多分これは一生治らない。そもそも治そうとしていない気ある。治す気がないのならそれを自覚した上で生きていくしかない。

こんなことを言ってたって今の苦しみが軽減されるわけでもないし、誰かが今の惨状を解決してくれるわけでもない。誰だって辛い気持ちを胸の中に押し込んで日々の労働や生活を頑張っているわけで、自分だけ特別世界から虐げられているのではない。

いつまでも今の甘ったれた生活を続けられるわけではない。いつかは区切りをつけて、前に進むしかない。でも今はそれがいつになるのかはわからない。

未だ暗闇の中。

 

忙しい時ほど時間は早く過ぎる

怠けている時は時間をどれだけ浪費しても気にしないのに、忙しい時や何かを頑張っている時は時間が光の様に過ぎていく。

そして、怠けていた時のことを後悔する。

あの時怠けていなかったら今はもっと成果が出ていたはずなのに。

余程精神力の高い人間でない限り、どうしても怠ける時期が来る。怠けてしまった時間を取り戻すのは不可能だ。

過去をクヨクヨ悔やむより、やる気になった今を頑張ろう。

 

最後の晩餐は一度食べたことがあるものがいい

今日は124年ぶりの2月2日の節分。特に節分に思い入れがあるわけではないのだが、夕食として1200円のうにを購入した。うには回転寿司くらいでしか食べたことがなく、大量のうにを一度に食べるのは初めての経験だった。うに100gの相場がいくらかはわからないが小市民にとって一品1000円越えはかなりの奮発だ。回転寿司の100円のうにがあれだけ美味しいのだから1000円のうにはどれだけ美味しいのかと期待して食べてみた。・・・思ったほど美味しくなかった。塩味が強すぎるのか、しょっぱすぎてそれほど美味しくない。うにとしては1200円程度は安すぎたからなのか、もっと高いうにはちゃんと美味しいと思えるのかもしれない。

値段と味の相関って必ずしも比例するわけではなくて、一貫1000円の寿司が一貫100円の10倍美味しいかと言うとそんなことはありえない。美味しさという曖昧なものを正確に定量化することはできないが、せいぜい2〜3倍程度の美味しさしかない。

そもそも食事の値段の違いは食材の値段の違いとイコールではない。自販機で買った160円のコーラはスーパーで買った80円のコーラの2倍美味しいかというと違う。全く同じ味のはずだ。食べ物の値段には食材の原価の他に人件費やら何やら様々な費用が重なってくる。だから値段と美味しさが必ずしも比例するわけではないのだ。

タイトル回収になるのだが、美味しそうなものは実際に食べてみないと本当に美味しいかどうかわからない。今日のうにのように食べてみたらそんなに美味しくないということもままある。最後の晩餐として今まで食べたことのない高いものを食べてみたら思ったより美味しくなくて後悔する、なんてことになるかもしれない。

最後の晩餐には食べ慣れたものを選ぶのが後悔がなくていいかもしれませんね。

はてなブログを始めて1ヶ月毎日記事を書いてみた結果

 

 

昨年の大晦日からはてなブログを始めて1ヶ月が経過した。

開始時にどんな内容でもいいので毎日記事を書くことを目標にした。

最初の数日は一文字しか書かないこともあったが、徐々に文章を書くことに慣れ、数百字程度の文章なら毎日書けるようになった。

自分以外いなかったアクセス数も日々少しずつ増えていき、今では150 アクセスはされるようにもなった。

初めて読者登録された時はすごく嬉しくて、今では13人の方に読者登録していただいている。

1月の毎日書くという量の目標は達成できたので、2月はしっかり考えたり、調べたりして書くという質の目標を達成したい