可哀想な作品
最近ネット上である映画作品が良くない意味で話題になっている。
その作品とはお笑い芸人としても有名なキングコングの西野亮廣原作の「えんとつ町のプペル」である。
この作品のチケットをネズミ講まがいの方法で売りつけているなどの噂が立ち、この作品そのものの評価を純粋にすることが難しくなっている。
作品自体に罪はないのにそれを取り巻く環境のせいで作品の価値が不当に低く見られることはよくある。
出演者の中から犯罪者を出した作品などは公開が中止されたり、配信が停止することもある。
中止されなかったとしても、犯罪者のあいつが出ているから見てみようと最初から色眼鏡で作品をみる人も増えてしまう。
もちろんなんの偏見もなく作品をみることは難しいが今回のように敢えて偏見全開で見られてしまうのは作品自体が可哀想である。
この偏見が広まれば純粋に作品をいいと思った人も感想を言い辛くなってしまう。
少し前だと「100日後に死ぬワニ」が作品とは関係ないところで騒がれ、作品の感想そのものを言うのが難しくなった。
クリエイターと作品は分けて考えるべきという論もあるがそれが簡単にできれば苦労はしないことは私自身もわかっている。
私も問題発言などをしたクリエイターの作品への見方が変わってしまうことがある。
どちらが正しいと言うことはないが、クリエイターは作品が不当に貶められることがないようにするべきだし、受け取る側もなるべく分けて考えた方がお互いいい。
楽しめる作品の幅はなるべく広い方が得である。